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2005年 07月 31日

Cerveza de Perro

コルドバの学校で日本語を教える先輩ボランティアのお宅を訪問。
目抜き通りに面したマンションで、立地は抜群。
歴代ボランティアが少しずつそろえた家財道具があるせいか、半年たってもガランとしたままの自分の部屋よりも生活しやすそうだ。
「飲む?」
冷蔵庫から出してくれたのは、冷えたビール。
銘柄は…
Cordoba
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ブエノス・アイレスじゃ見たことない。
軽くて、ノドごしのいいビール。
ノドがカラカラのとき、水代わりに飲むとよさそうなかんじである。
この味、地元では不評で「イヌが作ってるビール」という冗句まであるとか。
イヌって…猿酒って言葉があるくらいだから、せめてサルくらいなら、ねえ?
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by luz_esperanza_777 | 2005-07-31 21:21 | Viajes
2005年 07月 31日

No puedo...

バスターミナルのインフォメーションで教えてもらった安宿へ。

看板も何も出ていない、ただ入り口のガラスにホテルであることを示すサインがあるだけ。
まあいいや、と部屋を見せてもらう。

シャワー・トイレつき、シングルルーム20ペソ也。
ストーブもちゃんとある。

でも…何かイヤなかんじである。
饐えたようなにおいと、湿度。
建物全体から滲み出る、空き家のような陰惨な雰囲気。
多少なりとも他に宿泊客がいればまだいいのだが、その気配は皆無である。
朝、目が覚めて浅茅が宿のようなオチはゴメンだ。

3軒隣の、もう少しよさそうなホテルも見てみることにした。
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こちらはぐっと高く、50ペソ。
ただし、朝食込み。
建物は中心部分が吹き抜けになっていて、清潔で、明るい。
見せてくれた部屋はすでにストーブがたかれており、入ったとたん眠気に誘われそうだ。

ん~。

ほぼ即決。

掃き溜めのようなアジアの安宿を渡り歩いた過去の栄光(?)は、僕の体からすっかり消えうせていた。

贅沢してるつもりはないが、ハングリー・ハートはどこへやら。

その夜、先輩Vやその友人と食事をした後で、少し独りで飲みたくなって、適当に開いていたバルへ。
知らない間に軟弱になってしまったオノレを恨みつつ、酒を飲んだ。
人間の変化は、おそろしい。
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by luz_esperanza_777 | 2005-07-31 20:25 | Viajes
2005年 07月 31日

Collage

偶然に生み出されたコラージュ。

17世紀の建造物が立ち並ぶ一角で見つけた、蒼生のコラボレーション。

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by luz_esperanza_777 | 2005-07-31 13:20 | Viajes
2005年 07月 31日

遺産とその役割、いのち

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コルドバは現在、学園都市として知られている。
知的世界の拠点としてのそのスタートは1613年にイエズス会がコルドバ大学を設立したことに始まる。
1767年のイエズス会追放後は国立大学となって現在に至っている。
そして、その隣にあるコレヒオ・ナショナル・デ・モンセラート(Colegio Nacional de Monserrato)は、1687年に設置され、現在も学校としての機能を保っている。

これまでさまざまな文化財を目にしてきたが、このコルドバでは、文化財は過去の遺産ではない。

市民が利用する現役の施設であり、その役割といのちは「世界遺産」に指定された後も失われていない。
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by luz_esperanza_777 | 2005-07-31 12:21 | Viajes
2005年 07月 31日

Jesus Hominum Salvator

宗教革命の真っ只中にあって、プロテスタントの勢いに負けまいと海外に布教の途を求めたイエズス会。
イグナシオ・デ・ロヨラが1534年に組織したこの男子修道会は積極的な布教活動を進め、南はアフリカ、東は極東アジアの日本まで到達、西は南アメリカ各地で伝道を行い、地球を一周した。
皮肉なことに、それまでの活動に鋭い批判の刃を突きつけられた宗教革命があったからこそ、カトリックは新世界に目を向け、世界中に信者を獲得したのかもしれない。

1850年代に南米での布教活動を開始したイエズス会は、それまでの武力による征服に代わって、宗教による従属を目指した。
やがてイエズス会は単なる一修道会の枠を超えた強大な勢力を持つようになり、南米では地元民と共に居留地を形成。
しだいに領地拡大を目論むスペインやポルトガルなどと対立するようになる。
1773年7月21日、イエズス会は教皇クレメンス14世によって解散。理由は神学上の問題とされているが、実際は対立するヨーロッパ各国の圧力によるものだったという。

アルゼンチンでは、ブエノスアイレス州から北部にかけての各地でこのイエズス会の伝道の痕跡を見ることができる。
コルドバのイエズス会伝道施設およびエスタンシアス。
2000年、ユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録された。
コルドバ市内には17世紀以来の街並みが残され、郊外にはイエズス会の布教活動の拠点としたエスタンシアスの痕跡が点在する。

ラ・コンパニア・デ・ヘスス教会(Igresia de la Compania de Jesus)。
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その裏手にある礼拝堂は17世紀に建設されたという。
その扉には、「Casa de Dios y Puerta del Cielo 」(神の家・天への扉)という言葉とともに、イエズス会のシンボルである「JHS」(=Jesus Hominum Salvator、人類の救い主・イエス)の3文字が刻まれていた。
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救い主・イエス。
ちょうどそのころ、日本では禁教の布告が出され、キリシタン弾圧の嵐が吹き荒れていた。
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by luz_esperanza_777 | 2005-07-31 12:17 | Viajes
2005年 07月 31日

Catedral

カビルドの隣に建つカテドラル。
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古びた、というよりやつれた、という表現が似合いそうだ。
しかし、霧雨の湿気に濡れた木の扉を押して中に入ると、過ぎていった時間の長さを感じさせないフレスコ画が視界いっぱいに広がっていた。

長いベンチに腰をかけ、ミサを待つ老婆。

足音はもちろん、息をするのもはばかれるほどの静寂。
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自分が場違いな闖入者であることは、入る前から分かっていた。
カテドラルは祈る場所であり、見物する場所ではない。
しかし、何かを求めるからこそ、足を踏み入れたのだ。

しかし、「どうぞお持ち帰りください」と、用意されているわけではない。

静寂にのまれ、そのままそっと外に出た。
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by luz_esperanza_777 | 2005-07-31 11:12 | Viajes
2005年 07月 31日

Cabildo

コルドバにはブエノス・アイレスと同様、政府の主要機能が置かれていたカビルドという建物が残されている。
街の中心をなす、サン・マルティン広場(Plaza San Martin)の正面。
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野良犬にレンズを向けていたら、オッサンがやってきて言う。
「オレの犬だ。オレも一緒に撮ってくれ」
犬は首輪もしていないし、それほどこのオッサンに慣れている様子もない。
ウソつけ、と思ったが別にどうでもいい。
オッサンのイカれた格好も気に入って、パチリ。
このあと、オッサンと犬は別々の方向へ歩いていった。
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by luz_esperanza_777 | 2005-07-31 10:11 | Viajes
2005年 07月 31日

Cordobaへ

その朝、コルドバの街は霧雨に包まれていた。
降っていることに気づかないくらいのかすかな雨が、少しずつ街の石畳の道を濡らしていく。
睡眠不足でぼんやりしたまま、静かな街を歩く。
人口約200万人。ロサリオと並んでアルゼンチン第二の都市だとされているが、ブエノスアイレスの巨大な街を見慣れた自分にはひどく小さく見える。
街角から聞こえてくるスペイン語は、ブエノス・アイレスのアクセントの強いそれではなく、滑らかな抑揚を伴っていた。
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コルドバの道はブエノス・アイレスと同様、アルゼンチン史上の人物や、国内の各都市の名前などがつけられている。
しかし、コルドバに「コルドバ」という名の道はないし、ブエノス・アイレスに「ブエノス・アイレス」という道はない。
自分が住む街の名前がつけられた道。
標識を見たとき、違う街に来たことを実感した。

コルドバ。

僕の住む街から、北へ700キロ。
長距離バスで1夜の旅。
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by luz_esperanza_777 | 2005-07-31 09:02 | Viajes
2005年 07月 29日

なっと  その真実

再び納豆ネタだ。

先日紹介した4種類の納豆。
各方面からのご要望もあったことだし、せっかくなので詳細をご紹介しようと思う。
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      商品名      内容量         購入地
その1  愛菜納豆       100g      CASA JAPONESA
その2  手作り納豆   推定100g     CASA JAPONESA
その3  日の丸納豆 推定100g     CASA CHINA
その4  NATTO     推定150g以上  CASA CHINA

まず、購入地。
ブエノス・アイレスの日本食材販売の双璧ともいえるCASA JAPONESA とBARRIO CHINOのCASA CHINAの2カ所である。
面白いことに、この両店はそれぞれ異なる銘柄の納豆を2種類ずつ販売している。見事な棲み分け…たまたまか?
どれも日本のものよりネバパワーが弱く、大豆の粒が大きい。
ハズレをひくと、豆が少々かたいことがある。

味は…4つ並べて喰い比べたわけではないので、何とも言いがたい。
個人的な好みでいうと、手作り納豆がスキである。
豆のやわらかさがちょうどいい。
香りも適度である。
最近は卵の黄身だけを落として、七味または葱の微塵切りとともに食している。

で、日の丸納豆の写真がない理由は…とっとと食べて、パッケージを捨てちゃったからである。
容器は愛菜納豆とほぼ同じ、ラベルには文字通り日の丸があしらわれている。

ああ、魅惑の納豆ライフ…みなさん、納豆は好きですか?
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by luz_esperanza_777 | 2005-07-29 11:21 | Dias en Bs.As.
2005年 07月 25日

インタビュー


「一世の言葉を残しておきたい」

そんな県人会の希望と、

「日本から飛び出した人たちのホンネが聞きたい」

という僕の欲求が合致して、日系一世の方へのインタビューをしている。

エスコバルというブエノス・アイレス郊外の街まで出掛け、98歳の男性に話を聞いた。
1930年代に単身アルゼンチンに渡り、郊外の日系人の一大産業である花作りを推し進めた人物。
身体は今でも頑健、記憶力も抜群。
半世紀以上たっても、人の名前や正確な数字がポンポン出てくる。
目の光は今でも強さを保ち、そして明るい。
その人柄は頑固というのでも硬骨というのでもないが、スジのとおった意志の強さを感じさせる。
迷い続け、迷うがゆえに行動力に欠けるわれわれ現代っ子とは、まったく異なるタイプの日本人である。

「独立するまでの6年間で、休んだのは1日だけ」
現代の我々には想像もできないことをケロッとした顔で口にする。

果てしなく続く仕事、過労、ストレスが溜まる、リフレッシュだ、ヒーリングだ…現代人は厳しい環境で日々を生き抜いていると思ってた。
でも、彼の生き方は、現代人とはレベルが違うかんじである。

現代人がやつれてるのは、社会構造のせいなんだろうか。
それとも、現代人そのものがヒヨワになってるんだろうか。
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by luz_esperanza_777 | 2005-07-25 13:28